山清郡 南冥曺植遺跡 남명조식유적

朝鮮中期の実践留学の大家である南冥曺植(1501~1572)先生は、嶺南学派の大物であり、学士の里である山清(サンチョン)を代表する人物であり、朝鮮朝廷の明宗(13代、1545~1567年在位)に仁の政治を望むという内容の乙卯丹城疏を送った儒学者だ。

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朝鮮中期の実践留学の大家である南冥曺植(1501~1572)先生は、嶺南学派の大物であり、学士の里である山清(サンチョン)を代表する人物であり、朝鮮朝廷の明宗(13代、1545~1567年在位)に仁の政治を望むという内容の乙卯丹城疏を送った儒学者だ。彼の時調、頭流山両端水に出てくる矢川面徳川の川辺一帯に山泉斎、徳川書院、南溟記念館、洗心亭、墓所、ヨジェ室などの遺跡がある。

 

 

山泉斎は先生が弟子たちを教えたり、研究をした所で、明宗16年(1561)に建てられた。山泉斎の床の上の壁には壁画が描かれていて、山泉斎の横の蔵板閣には先生の文集の木版が保管されている。

 

 

南冥曺植先生は官職には進まず、一生を学士と処士(仕官しない人)として生き、学問研究と後進の養成に力をつくした。先生の学問は敬意思想で、後学たちが先生の学問を受け継いで、先生の業績を称えるために徳川書院を建てた。今は書院の教育的機能は消えて、祭祀の機能だけ残っている。

 

조식유적

 

洗心亭は大人が心を洗うという意味で、曺植先生の弟子である崔永慶などが中心になって、徳川書院を作る時に一緒に建てた亭子だ。現在の亭子はその後何度か改築したもので徳川書院の前の川岸にある。

 

位置: 慶尚南道山清郡矢川面院里

 

アクセス

◆ 大田-統営間高速道路 → 丹城IC → 矢川面絲里(国道20番) → 南溟記念館

◆ 大田-統営間高速道路 → 山清IC → 今西面梅村(国道59番) → バムモリゼ → 矢川面絲里 → 南溟記念館

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