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巨済に残っている日本の遺跡地

巨済市 只心島 砲陣地・弾薬庫 지심도 포진지 탄약고

巨済市一運面の只心島は 1930年代に日本軍が只心島住民たちを強制追放して、日本軍1個中隊(赤旗)を駐屯させて、北東アジア戦争の戦略的要塞地にした。砲陣地4箇所と弾薬庫3箇所、サーチライト保管所が原型のまま残っている。

巨済市 長門浦・松眞浦日本城 장문포 송진포 일본성

巨済市長木面松真浦里に 1593年に日本軍たちが積んだ城で、山城のまわりは 420mで高さは 3m、幅は 3.2mだ。城の内には樓閣があったが崩れてしまって、瓦の破片が発見された。規模から見てかなり大きい城だったと推測される。

巨済市 吹島 취도

巨済市沙等面倉湖里にある、50坪余の規模の岩島で、元々は 3000坪余になる有人島だったが、日本軍占領の時、住民を強制移住させた後、松真浦で吹島を目標に砲弾演習を実施した結果、面積が減った。吹島には高さ 4.5mの記念塔があるが、これは 1905年、ロシアと日本の間の海戦を回考するために立てられた。

巨済市 東郷平八郎提督 도고 헤이하치로 제독

巨済市長木面松真浦里の後方の山に、日露戦争当時日本海軍司令官だった東郷平八郎の自筆を陰刻した日露戦争・戦勝前記念碑があった。東郷平八郎提督は、日本史を輝かした100人の人物の中で 8位に上がる人物で、日露戦争当時ロシアのバルチック艦隊を撃沈させて、日本では軍神とされる英雄で、普段李舜臣将軍を尊敬していたという。